菱垣回船・樽回船
かつて上方(現在の京阪神)から江戸(現在の東京)に酒樽を輸送していた帆船のこと。明治時代(1868~1911年)までは京都を中心として地方へ向かうことを「下る」と称していたことから上方から江戸へ送る酒を下り酒と称した。下り酒輸送は1600年代に始まり、当初は馬による陸上輸送であったが、程なく販売量の増加に対処するため帆船による海上輸送となった。
1600年代初期に大阪でつぎつぎと発生した船問屋は、所有する菱垣回船と呼ばれる独特の構造の船によって他の商品とともに灘酒を江戸に送った。菱垣回船とは船の両舷に竹を菱形に組んで垣(囲い)をつくり、滑りやすく不安定な甲板上での樽の荷崩れを防ぎ積載量の増加をはかったものであった。
菱垣回船は積載量重視、安全軽視の運航のため海難事故は後を絶たず、やがて海難事故を装った積荷の横流しなどの不正が横行し、その営業実態が甚だ放漫になるに至って1700年代頃新たに酒輸送専門の回船が誕生した。この回船を樽回船と称する。樽回船は安定性のある優美な和帆船で船足も速く、幕末には積載量が3000丁積みの大型のものも現われた。1800年代後期に洋式帆船や汽船が出現したため海上輸送の主役の座をそれらに譲ることになったが、それまでの間灘酒の拡販に大いに貢献した。